今から80年近く前の1947(昭和22)年、すでに日本では電気自動車が完成していた。それが自動車会社への転換を模索していた立川飛行機株式会社(現 株式会社立飛ホールディングス)が開発に成功した「たま電気自動車」である。車名は会社所在地の多摩に由来する。木骨鉄板張りの構造で、電動機は株式会社日立製作所との共同開発で36ボルト120アンペア、蓄電池は40ボルト162アンペアのものを二分割してキュートな車体の下部に搭載。最高速度35km/h、1回の充電での走行距離は65kmという性能を有した。
以降、立川飛行機から派生した東京電気自動車株式会社(後のプリンス自動車工業株式会社、現在の日産自動車株式会社)が開発に取り組み、1949(昭和24)年に発売された「たまセニア」号は、現代の電気自動車と同等以上の1充電で実に200kmの走行を可能とする性能を誇り、当時タクシーとしても活躍した。その後、ガソリンの供給状況の好転と蓄電池材料の価格高騰により開発は一時中断を余儀なくされたが、多くの設計資料は今も現存し、わが国の自動車開発史を語る上でも貴重な遺産といえる。
(日本機械学会 機械遺産 第40号)
引用:日本機械学会「機械遺産」 機械遺産第40号 https://www.jsme.or.jp/kikaiisan/heritage_040_jp.html
協力・参考:日産自動車株式会社 https://www.nissan.co.jp/
( vol.137・2024年11月掲載 )